2015年10月3日土曜日

メリホヴォ ~チェーホフの暮らした家~

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メリホヴォ ~チェーホフの暮らした家~
Дом-музей Чехова в Мелихово
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 作家の太宰治が好きな人が、東京からはるばる青森県にある太宰治記念館を訪ねるという話を聞いて、「好きな人はそれくらいするものだなあ」なんて感心する。

 そんな私が、ロシアの文豪チェーホフの記念館を訪ねるために、わざわざロシアのメリホヴォ村まで行ったわけだが、別にチェーホフの本を全部読んだわけでも、チェーホフが一番好きな作家というわけでもない。しかしモスクワに留学中のこと。電車で1時間半で行けるということで、ある春の日、週末を使って出かけたわけである。結論としては、作品に通暁しない私でも、100年前のロシア人の暮らしが分かるだけで面白いし、なにより屋敷や庭園がきれいなので、休日の散歩にぴったりである。

 「チェーホフの家博物館」に行くには、汽車を下りた後、さらにバスに乗って、街の外に出なければならない。そこはもうメリホヴォ村という田舎で、人も滅多に歩いていない。私が間違えて人の家に入ろうとしたが、そこから熊みたいなロシア人が出てきたので、道を尋ね、言われたままに進むと、文豪の家はあった。

 私がここを訪れたのは5月、ちょうど春の天気の良い日だったので、新緑が明るく、庭には花が咲いていた。
 写真の奥に、アントン・チェーホフの銅像が見えるかと思う。

 さて、「家」などといっているが、実際ここは、大きな敷地のなかに、庭や、屋敷や、作業小屋や、女中が住んでた離れなどの建物が点在する、一つの公園といった方がよいかもしれない。昔のロシアで階級がそこそこあったので、屋敷もこれぐらい大きいらしい。


訪問者は少なく、静かだった。


 作家はこの家で執筆を行っていたとのこと。


小説『カシタンカ』に登場する犬。

 
診療所

 チェーホフは、作家であるより先に医者だった。メリホヴォに居を構えていた間も、農民の診察を行っていたとのこと。

 この診療所では館員の人に、「医者としてのチェーホフ」というビデオを見せてもらえる。たまたま隣に座っていた老夫婦が、館員と「おもしろかったですねえ」「気に入りました」などと話していたのが、博物館の雰囲気を物語っていた。

 チェーホフがこの村に住んでいたのは、8年間のこと。この後は、持病の療養のために、気候の温暖なヤルタにいることが増える。44歳だった1904年、結核のため没した。

 博物館を離れるときは、バスの時間を確認しておかなければならない。一時間に一本来るかこないかである。しかも周りには、時間をつぶせるようなお店や喫茶店もほとんど無い。

 ちなみに、チェーホフの家博物館は、モスクワ中心部にもある。都市での活動を伝える資料や、作家のサハリン視察旅行の記録が展示されている。
 
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メリホヴォ「チェーホフの家博物館」までのアクセス

モスクワ・「ベラルーシ駅」(Белорусский вокзал)から郊外列車エレクトリーチカで「チェーホフ駅」(Чехов)まで。一時間半程度。電車を降りたら、バスターミナルで25番のバスに乗る(バスの番号は変わるかもしれないので尋ねるといい)。「メリホヴォ」停留場(Мелихово)で降りると、すぐそこにある。

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私がバスに乗った時の珍事を一つ。
通常モスクワ市内のバスは、入り口で切符やICカードで清算を行う。しかしほかの都市では、バスの中に車掌がいる。この車掌にお金を払うと切符を渡される。日本ではもう車掌さんのいるバスなどないので、私には新奇である。
さて、私はこの仕組みがわからなかった。どこで切符を買えばいいのかもよくわからず、とりあえずバスに乗り込んで、隣の人に尋ねてみた。
「切符はどこで買えますか?」
「え?」
「切符...」
「あー、」
この人、肌が薄黒く、髪が黒い。明らかに、中央アジアから来た出稼ぎ労働者であった。私の質問を理解してもらえなかったのは、あんまり内容が突飛だったからなのかと思ったが、後でロシアの友人に聞いたところ、「あんまりロシア語を知らなかったのでは?」と笑っていた。
そうこうしているうちに、バスは客が埋まっていき満員。出ようにも出られなくなっていった。だが車掌が後から入って、一人ずつお金を集めて行っていたので、ようやく仕組みを解しほっとひといきしたわけである。
車内アナウンスなどという設備はない。その車掌さんが、停留所の名前を一つ一つ叫んでいく。
バスは市場のあった中心部を離れ、どんどん田舎へと出ていく。
私はガイドブックを開き、バス停の名前を確認した。途中で、アジア人は私の本を見て、「中国語か」と尋ねた。私は「日本だ」と言った。アジア人は、一体日本という国を知っているのか知らないのか、「ああ」と返事をしたばかりであった。間もなくアジア人は降りた。
車内は人が少なくなった。
「メーリハヴァ!」Мелихово!と叫んだところで、ここだ!と思った私は降りたわけである。
(文と写真:市川)

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